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日記の・ようなものです

キネマにときめいて

8月も終わりだというのに、今日も溶けそうなくらい暑かった。映画館から出ると西日にじりじりと身体が焼かれ、映画館まで自転車で来たのを少し後悔した。家から街中の映画館までは自転車で約20分。車で向かう距離でもないと自転車で来たけれど、この時期はまだ少し辛かった。暑さに耐え切れず近所の喫茶店に駆け込んでアイスカフェオレを頼んだが、案外来るのに時間がかかる。待ち切れず、お冷をぐびぐび飲むと水の冷たさが身体中に広がっていくのを感じた。気持ちがいい。折角だし、このまま読書してから帰ろう、そう思って読みかけの『キネマの神様』を読み始めた。読んでいるうちにアイスカフェオレが届き、なくなり、ハーブティーを頼み、満杯だったポットが空になり、残りはティーカップに一杯だけとなった頃、本を読み終えた。じいんとして、しばらく動けなかった。なんだかちょっと泣きそうだった。

『キネマの神様』は、突然仕事を辞めた娘・歩と、ギャンブルと映画が趣味の父親・ゴウの親子が中心の物語だ。父が老舗の雑誌『映友』に歩の文章を投稿したのをきっかけに、彼女はその編集部に勤めることになり、更にはゴウも『映友』のサイトで映画ブログをスタートさせることに……という話。映画と、そして映画館への愛に溢れた、とてもあたたかな一冊だ。

読んでいて色んなことを考えたけれど、特に考えたのは「いつから真っ直ぐに映画が好きと言えなくなったんだろう」ということだった。

ゴウの書く映画評は、映画の良いところばかりを取り上げる。その映画の素敵だと思ったところを、真っ直ぐに、熱のこもった文章で書き上げる。変わった視点がある訳でもなく、何か鋭い指摘がある訳でもない。でも、読むとなんだかその映画が見たくなるような、気取ったところがない、あったかい文章だ。素直に映画を好きでいるとは、こういうことかと思わされる。

いつからだろう、わたしが映画を好きだという気持ちを素直に出せなくなったのは。

古典と言われるような名作を見ていないと映画が好きだと言ってはいけない気がした。年間鑑賞数が200本にも満たないわたしは映画を好きだと言ってはいけない気がした。何かを好きと言うためには、それに詳しくないといけないように感じて、いつしか「好き」に前置きが増えていった。「そんなに言うほど見てないんですけどね……」「そんなに詳しくないので……」そんな風に。映画の感想も、面白くないといけない気がして言うのがなんか気が引けた。呟きはするけど、自分の感想はつまらないしなあと思うようになった。

わたしは映画が好き、それだけなのに、その気持ちを人と比べ、萎縮し遠慮し、胸を張っては「好きだ!」と言えない。そんなのって変だけれど、いつしかそうなっていた。でも、『キネマの神様』を読み終わった時、なにも気にせず素直に「わたし、映画が好きだ!」と思えた。誰かと比べたり、誰かの言葉に惑わされることなく、真っ直ぐに自分の愛し方で映画を愛するゴウの姿が、わたしにそう思わせてくれたのだと思う。映画を観るようになった頃、映画にときめいたあの時の気持ち、あのままで良いじゃないかと。

わたしが映画を平均より多く観るようになったのは大学進学が決まった、高校の卒業前からだ。高校生の頃、大好きだった西島秀俊について調べまくっているうちに、彼が大の映画ファンだということを知った。映画が好きで、売れて多忙になる前は映画館によく行っていたこと。愛読書はブレッソンの『シネマトグラフ覚書』。大好きな香川京子さんと共演した時の喜び。雑誌のインタビュー記事や、過去に出演したラジオ番組での語りからは彼が映画好きであることが滲み出ていた。ミニシアターの存在も、名画座の存在も、ブレッソンも何も知らなかった高校生のわたしは、西島秀俊を通してミニシアターというものがあること、過去の名作を二本立て等で流す名画座なるものがあること、色んな監督や俳優の名前、映画のタイトルを知った。それに加えて、西島秀俊が取り上げられる雑誌で紹介されている別の作品についての記事も隅々まで読んでいたから、邦画については作品の規模の大小に関わらず、色んな作品の情報をキャッチしていた。知識が増えるとともに、勿論自分が知った映画を観たくなった。けれども当時のわたしは受験を控えた高校2年生だった。今でこそ、勉強と趣味としての映画を両立させられたんじゃないかと思うけれど、当時のわたしにはそんな自信はなく、「大学に入ったらたくさん映画を観よう!」と思っていた。

そして有言実行、受験が終わるや否や、近所のレンタル屋さんでずっと観たかった作品を借りてきた。今でも覚えてる。『ショーシャンクの空に』と『横道世之介』だ。どちらも人生は美しいと思わせてくれる作品で、わたしは家のテレビの前で胸を震わせてぽろぽろ泣いた。そして思った。映画ってなんて素晴らしいんだろう。知らない世界へ連れて行ってくれて、わたしに色んなことを教えてくれる。生きていこうと、こんなわたしだけれど明日から頑張ってみようかなと思わせてくれる。わたし、もっと映画が観たい。映画が、好きかもしれない。きっと、好きになる。

あの時の気持ちは、とても単純だ。でも真っ直ぐで自分の言葉で紡いだ美しい感情だったと思う。『キネマの神様』が、そんな気持ちを思い出させてくれた。それでいいんだよと言ってくれた気がする。観ていない名作がある。本数だって多くない。変わった感想は言えない。けれど、映画が好きなことに変わりはない。飾らない自分の言葉で、素直にそんな気持ちをまた語りたくなった。なんだか、今日はとてもいい日だった気がする。