mn'95blog

日記の・ようなものです

こんな世の中だからこそ愛とか頼りに生きていこうと思う

文章が書きたい気がしながらもパソコンを開く気力もなかったり、逆にそんな暇もないくらい何かに夢中になっていたり、そんなこんなでいつの間にか時間が経ち、久方ぶりにブログを開いた。

 

最近はといえば、ホワイトでいい会社だと思って働いていたら、身近でハラスメント事案が起きて、それに対する組織の対応と、組織のなかにいる人間の頭の悪さ(悪意ある表現かもしれないけれど最早そうとしか思えない)にうんざりして、日々何かに怒っている。ハラスメント事案がなくても、毎日何かに怒って生きてはいる気がするけれど。不機嫌にもなるよなフェミニストは。2023年、新しい年を迎えてなお、私たちは「おじさん」と戦わなくてはならないのかと、新年の晴れ晴れとした気持ちは何処へやらといった状況に、また私のなかで怒りがむくりと起き上がってこっちを見ている。

 

私たちは別に何かすごい特権がほしいんじゃなくて、人の尊厳とか、あって当然の権利とか、そういうのを踏みにじられないように、不当な扱いを受けないようにしたいだけで、マイナスな今をゼロにしてほしいだけなのに。そもそもマイナスであることを理解してもらえず、いささか騒ぎすぎではと首を傾げる「おじさん」に、何を、どう言えば良いのか。あの悪魔的な無自覚・無理解……。首を傾げたいのはこっちだし、何なら傾げすぎてもう取れそうなんだが。

 

会社のような組織は、そういう「マイナス」がなくなるよう努力してほしいと心底思う。女性もそうだし、勿論それ以外の全員が。最低限、研修なんかでジェンダーについて学ばせるとかしないと、しんどい。内心どう思っていようが会社として「これはダメですよ」と組織の公式見解を示すことは、人の心は変えられなくても、多少なりともふるまいを変えさせる抑止力にはなるだろうから。

 

話は少し逸れていくけれど、ジェンダーに関して言えば、年末に『新しい声を聞くぼくたち』を読んだのが面白かった。また新しい「目」が自分のなかにできた気がする。年が明けてからは、気になっていた『姫とホモソーシャル』を買ってみたのだけれど、「姫」を取り上げた本と言えば有名な『お姫様とジェンダー』を読んだことがないんだよなあと、そちらが頭にちらついてしまい、先にそっちから読み始めた。前者は後で読もうと思う。『お姫様とジェンダー』もまだほんの序章しか読めていないけれど、同書が2000年代初頭に書かれたという時代背景を感じつつも、まだまだ前述のように私たちは怒ったり傷つけられたりしていて、同書が書かれた時からもしかしたら状況はそう大きく変わっていないんだろうかと指先が冷たくなる感覚がしている。だからこそ、かもしれないが、私は、私たちが置かれている状況を良くしていくために、何ができるのか考えられるよう、知識や色んな「目」を持っておきたい。おかしな奴がおかしなことを言ってきたときに、それに負けない知を持っていたい。純粋に知りたいという好奇心もあるけれど、そんな気持ちもあって2023年も色々読んで学んでいきたいなという気持ちです。

 

 

 

まあ明るくはない怒りまみれの文章で始まってしまったけれど、楽しいことは楽しいことでちゃんとあって。大好きなアイドルを応援するのは本当に生きがいといっても良いし、素敵な小説や、かっこいいバンド、そういうものに日々心が満たされていると思う。昨年雷に打たれたように惚れ込んだコレクターズのライブに行って、やっぱりコレクターズはカッコいいと心の底から感じた。コレクターズは昨年、新しいアルバムを出して、先日のライブもその新譜からセレクトされた曲が多かった。

ジューシーマーマレード、どの曲にもそれぞれアツい思いがあるのだけれど、特にどれが好きと言われたら「パレードを追いかけて」という曲に「君の好きな服を着て 好きなアクセント 喋ればいいのさ」という歌詞があって、そこがいつもぐっときて特別この曲が好きだと思ってしまう。コレクターズの持つカッコよさは「ダンディズム」と言われることも多いけれど、コレクターズのダンディズムは決して「男はこうあるべき」という誰かを何かの規範に押し込めるヘンな美意識ではない。コレクターズはそういうカッコよさを持っているというだけで、周囲にそれを押し付けるなんてことは一切ない。だからこそ「パレードを追いかけて」みたいな歌詞を加藤さんは書けるわけで、コレクターズのダンディズム的なカッコよさは、私たちが大切にしている別なものと矛盾はしない。一緒に存在できる。

私は沢田研二さんの大ファンだが、ジュリーと言えばそういうダンディズム的なカッコよさと不可分な存在だ。郷ひろみがジュリーを「右手にロックンロール、左手にダンディズム」と評したこともある(ふたりのビックショー共演時)。ジュリーを好きになって早5,6年が経ったが、ずっとそのことが引っかかってきた。ダンディズムという言葉が果たして適切か怪しい部分もあるが、ジュリーの持つダンディズム的なカッコよさは、誰かを不当なジェンダーに押し込めてしまうこともある。曲を聴いていて「ん?」と思ってしまうこともある(これはジュリーだけでなく昭和の頃に作られた一部の曲にはよくあることかもしれないが)。普段色々な不平等に怒り狂っているにも関わらず、ジュリーのダンディズム的なカッコよさには陶酔し、普段なら疑問に思うようなことも、彼の前では目をつぶってしまう自分がいて、それに悩んできた。自分のなかでは大きな矛盾だった。

そんな矛盾を抱えたまま出会ったのがコレクターズだった。一気に好きになるとともに、すぐにコレクターズもダンディズム的カッコよさを持っているバンドだと気付いたし、自分がそういうカッコよさに特別惹かれる人間なんだということも、同時に理解していた。そしてまた悩んだ。自分にとって、ダンディズム的カッコよさは、フェミニストとしての自分や、その他色んな不平等や価値観と戦う自分と矛盾するものだったから、コレクターズという素晴らしいバンドと出会ったとてつもない喜びともに、またこの苦悩が始まるのかと暗い気持ちにもなっていた。そんな悩みを持ちながら、コレクターズを聴いていたのだけれど、ある日別にコレクターズのカッコよさって、私の大切にしたい他のものを矛盾しないのではと気付き、そんなタイミングで新譜も出て先述の「パレードを追いかけて」に出会い、矛盾していないということがはっきりして、私はやっと靄が晴れた状態でコレクターズを愛することができるようになった。

コレクターズ、本当にカッコいい。聴いていて、ライブで見ていて、あとはインタビューを読んで、思うのは、加藤さんってとても愛に溢れた人で、その世界観を表現できるのがこのコレクターズで、近年ますますその加藤さんそのものがバンドにも表れているんだろうなということ。「ジューシーマーマレード」は、まさにそういうアルバムだったと思うし。先日あったライブで「世界を止めて」を聴きながら、あまりの愛の深さに、やさしさに、色々あるけれど、悲観的にならずに、愛とか信じて生きていきたいなと、そんなことを思わず思ってしまった。色んなことに怒っている私だけれど、怒るのが本質ではなくて、単に幸せになりたいし、誰かの幸せが阻害される世の中なんでくそくらえと思っているだけだから。怒って疲れて挫けそうなときに、コレクターズの愛に助けてもらおうと思う。やさしさで、とげとげした心を、まるくしようと思う。

UFO CLUV + 5

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音楽や、本や、その時々で色んなものに支えられていて、私はこの先も生きていけるし生きていくしかないなと思う今日この頃でした。