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日記の・ようなものです

1月5日 マイ・プレシャス・リスト

また放置してしまったので、久々に書くことにしました。三日坊主すぎる。今日は映画を見なかったので、昨日見た『マイ・プレシャス・リスト』について。

高いIQを持ついわゆる神童だった主人公キャリーは、4年飛び級をしてハーバード大学に入学し、10代にして学位を修める。19歳になった彼女は、今も将来を決められず、仕事もせずにひとりで暮らしている。人と関わるのが苦手な彼女には友達もおらず、たった一人の家族である父は遠く離れたロンドンで暮らしており、稀にしか会えない。そんな中唯一の話し相手は自身のセラピスト(父の親友でもある)。人と関わろうとしない彼女を想って、ある日セラピストは彼女が幸せになるためにすべきことを書いたリストをキャリーに手渡し、キャリーはそれを実行していくことになる。彼女は果たして幸せになれるのか――という内容。

ペットを飼うだとか、友達を作るだとか、デートをするだとか、そういったリストの項目をクリアしながらキャリーが自身と向き合い、他人に心を開いていく様子は応援したくなります。特に父親との関係については、ぐっとくるシーンも多くて、想い合っているのにすれ違ってばかりだったふたりが、ある一件を通して素直に感情を伝えられるようになるところは少し泣いてしまいました。あそこがこの物語のラストでもよかったくらいです。

ネタバレになるかもしれないですが、最後この映画は「自分を認め受け入れてくれる素敵な恋人と結ばれてハッピーエンド」というありがちな結末を迎えます。そこがちょっとがっかりでした。これは彼女が他人と関わるなかで「幸せ」を手にする話で、実際キャリーにはちょっと変な親友もできたし、不在だった父親の愛情も手にした(というかずっと愛されていたことを認識できた)し、セラピストとも信頼関係を築けたし、そうやって人と関わるなかで彼女は色んなものを得ました。得ると同時に相手に与えてもいます。でもそれでよしとはしてくれません。最後は結局素敵な恋人です。恋愛の成就が幸せの最高潮、幸せの象徴、そういうことです。友情や家族の愛情、他人との信頼関係、それだけでは彼女の幸せは不完全で、恋愛の成就があってはじめてパズルが完成するような、そんな描き方。

恋愛の成就が幸せの一つの形とすることには異論はありませんし、そういう価値観を持つ人がたくさんいるのもまた事実ですが、それが一番の幸せ、という風に提示されるとなんか他になかったのかなあと思ってしまいます。恋愛の成就なしに女性は幸せになれないんでしょうか、そんなことないのに。

キャリーは過去に恋愛で深く傷つき、その経験から他人と関わることを避けるようになっているので、ラストの恋愛の成就は直接的に過去の克服になり、物語としては分かりやすいし、整合性も取りやすいですが、恋愛の傷は恋愛でしか克服できないというのもなんかいまいちだなあと思ってしまいます。

いまいちというか、正確には今自分が見たい物語じゃないのだろうなあと思います。恋愛とか結婚とか、そういった過去に「女性の幸せ」とされてきたことを用いて、女性の幸せを描く話を、自分が全然欲してないのだと思います。もっといろんな形でわたしたちは幸せになれるので、もっといろんな形の幸せの物語を見せてほしい。『マイ・プレシャス・リスト』は「もっといろんな形の幸せ」がちりばめられているからこそ、ちゃんと描いているからこそ、余計に最後恋愛に全部持っていかれるのが惜しいと感じてしまうのだと思います。

もっといろんな幸せの物語を今年はたくさん見たいですね。そのためにはたくさん見ないとだなあと思います。何本も何十本も、もしかしたら何百本も見ないと、自分にびびっとくる作品に出会えないかもしれないので。色々文句を綴ったけれど、リストを作成して、一項目達成する度にその証拠をポロライドカメラにおさめるという方法は良いなあと思うので、マネして自分も新しいことに色々挑戦してみたいなあと感じました。ポロライドがスマホになるかもしれないけれど。早速、新しい挑戦として近々エステに行って全身マッサージされてくる予定です。前からやってみたかったのに、なんか行ったことがなくて。そういうことを今年はどんどんやっていきたいですね。では、今年もよろしくお願いいたします。