mn'95blog

日記の・ようなものです

いくつかの場面

結婚すると周りにも伝えていよいよ実感が湧いてきたからか分からないけれど、最近よく恋人と過ごした学生時代の記憶がよみがえる。

学生時代のわたしと言えば遅刻は日常茶飯事のろくでもない奴だったけれど、それに呆れも怒りもしなかったのが恋人だった。よく思い出す場面がある。その日わたしは寝坊して、ドタバタ準備して家を出て、JR六甲道から電車に乗り三ノ宮へ向かった。改札を出て見回すと、恋人は柱を背に読書をしていて、わたしを見つけるとぱたりと本を閉じた。30分の大遅刻。流石に気分を悪くしたに違いないと思いながらごめんねと声をかけると、彼は「いいよ、ちょうど本も読みたかったし」と穏やかに言い、「これあげる」とスピッツの「名前をつけてやる」をわたしに差し出した。聞けば中古で売っていたのを見つけて買ったのだという。当時のわたしは、まだスピッツのアルバムを歯抜けでしか持っていなくて、「名前をつけてやる」はその歯抜けの一枚だった。わたしを待つ時間怒りもせずのんびり本を読んでいた彼。誕生日でも何かの記念日でも何でもない日に貰ったCD。どちらもわたしにとっては驚きで、そしてとても素敵だった。後から思えば実に恋人らしい一幕で、だからこの場面をよく思い出すのだろうなと思う。

恋人との思い出だけでなく、25年という人生の中で何かにつけて思い出す場面というのがいくつかあるなあと思う。冬の日に幼稚園バスを父と待っていると、父がはーっと白い息を吐いて「ゴジラ」と言ってわたしを喜ばせていたこと。小学校で漢字を習うのが嬉しくて、家に帰るなり母に今日習った漢字の報告をしていたこと。初めて告白した人にいいよと返事をされて、あまりの嬉しさに飛び跳ねたら廊下の壁で腕を擦りむいたことと、付き合ってから彼に宛てて何枚も書いたたくさんの手紙。祖父がうちの犬を撫でて目を細めていて、おじいちゃんは犬が好きなんだなと思ったこと。そんな祖父のお葬式の末期の水は、祖父がコーヒー好きだったためにコーヒーだったこと。クラスの女子に事実無根の陰口を言われたこと。東京の兄を訪ねた際に些細なことでわたしが怒って取り乱したら、こんな日はお風呂に入ってゆっくりしなよとお風呂を沸かして入浴剤を渡してくれ、ごめんねと言うと、まあこういうのも許せるのが家族なんじゃないと言われたこと。犬が死んでしまってから落ち込んでいた父の背中。自分が他人に好かれているか自信がないと酔って吐露したら、みんな君のこと好きだと思うし自分も好きだよと言ってくれた友人のこと。

いくつかの場面が頭の中で昨日のことのようによみがえる。わたしが死んでしまえば、消えてしまう記憶だ。そう思うとどうにかしてこの記憶を残しておけないものかと思ってしまう。記憶と、そのときのわたしの感情を、細やかに、そのときのざらつきをそのままに残せたらいいのに。残して何になるかは分からないし、きっとあまり意味のないことだろうと思う。けれど、ひとりの人間が一生懸命悩んだり、全身で喜んだり、そうやって精一杯生きたことが消えてしまうのかと思うとちょっぴり虚しい。

そんな虚しさを紛らわしてくれるのも映画な気がする。映画をみるとき、そんな自身の個人的な記憶を映画のなかの物語に重ねてみることがある。個人的な記憶と重なる映画は、例え画面が美しくなかろうと響くものがあるくらいだ。わたし自身の経験は消えていくだろうけれど、わたしが感じたような喜びや、わたしが感じたような悲しみは、別の誰かの経験として映画のなかに存在し続けるんじゃないだろうか。映画の中の物語は決してわたしのものではないけれど、似たものがそこにあるというだけで、映画を見ている時だけでも人は安心したり、孤独から解放されることができる。映画を見続ける理由は自分でもよく分からないけれど、その理由のひとつは記憶の喪失の虚しさから逃れるためなのかもしれない。