mn'95blog

日記の・ようなものです

最近のこと

久しぶりに日記を書く。日記、といっても元々その日の記録というよりかは、その日までのしばらくの期間に起きたことや、それから考えたことを書いているので、日々の浮かび上がっては消えていく細やかな感情は記されることなく失われてしまっていると思う。

 

春に故郷・四国を離れて関東に移り住み、結婚してあたらしい生活が始まった。馴染みのない土地での暮らしにもいつの間にか慣れていくもので、6月あたりからは特に不自由もなくなった。心身ともに余裕ができ、こちらに来た当初よりも映画や読書を楽しむことができている。そして、思い出したようにブログを開いてみている、というのが今の状況だ。

 

6月といえば、コロナ禍で厳しい状況に置かれているーーコロナ以前から決して余裕あるものではなかったのだとは思うがーーミニシアターの支援を目的とした「ミニシアター・エイド基金」の行ったクラウドファンディングのリターンである「サンクスシアター」の視聴期限が6月末で、わたしも例に漏れず大慌てで月末に何本か観た。なかでも観られて良かったと強く思うのが、瀬田なつき監督の短編や初期の作品群。今回の「サンクスシアター」で瀬田なつき監督作にはっとさせられた人はかなり多かったのではないかと思う。

 

同監督の作品としては、私自身はこれまでに『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』『PARKS パークス』『ジオラマボーイ・パノラマガール』の3作品を観たことがあり、なかでも『PARKS』はお気に入り。瀬田監督を追いかけていこうと思った一本だった。今回は、かねてから観たいと思っていた『彼方からの手紙』『あとのまつり』『5windows』『5windows mountain mouth』『5windows eb(is)』を観る機会に恵まれ、観る前から嬉しかったし、どの作品も素晴らしかった。特に素晴らしいと思ったのは「5windows」シリーズ。『PARKS』で土地や場所、そこに流れる時間を捉えることを瀬田監督は得意としているらしいと気付かされたが、それが際立っていたのがこのシリーズ。「5windows」シリーズを観ていると、瀬田監督が描きたいのは人じゃなくて、「まちの記憶」ともいうべきものなのではないかと思わされる。誰かの物語を描くことに執着しているとは思えない。そこにはまず「まち」がある。人はまちの上に存在する一時的な存在でしかない。ある時にたまたまそのまちにいた。そんなことは誰の記憶にも残らない、もしかしたらそこにいた本人すらも忘れてしまうようなーーそんな短い時間を奇跡的に画面に収めたのが「5windows」だと思う。誰も知らない、まちの上に流れる雄大な時間のほんの一瞬。まちという途方もなく長い時間を内包した大きな存在から溢れて出る音楽を一音一音丁寧に収めたような、そんな作品。人はきっとその音楽のほんの一部にしか過ぎない。映画でよく描かれるような誰かのドラマチックな人生とは違って、素通りされ、指の隙間から落ちて消えてしまう記憶や時間や言葉が「5windows」にはあり、このこと自体が奇跡的だと思えるし、その上、画面に収められたしなやかな運動に助けられながら、それが観客を魅了するのだから素晴らしいと思う。一つ残念なことがあるとすれば、今回配信された初期作品や短編を観る機会が中々ないことで、今後配信や特集上映等でその機会が益々増えれば良いなと思う。勿論、自分勝手な一ファンとしてはディスク化が一番だと思う(資金的な問題はファンがクラウドファンディングで支えてくれるのではと思うけれど、どうだろう)。

 

同じく6月、自宅でDVD鑑賞ではあるけれど、久しぶりに伊丹十三の監督作を観た。『ゴムデッポウ』を除けば、監督作で唯一観ていなかった『静かな生活』。障がいを持つ兄とその妹を中心に、とある一家の暮らしを描いた一本。原作は大江健三郎佐伯日菜子さん演ずる妹・マーちゃんの実直な視点が見るに爽やかで、割と好きな一本だった。この爽やかさは伊丹十三の監督としての手腕だけではなく、きっと大江健三郎の原作によるところも大きいのだろうと思って、原作も読んでみることにした。やはりマーちゃんの実直さは原作から来るもので、文庫版の末尾に収録されていた伊丹十三の言葉からも、伊丹十三がこの実直さを大切に守りながら映画化をしていったことが分かった。大江健三郎を読むのははじめてで、何なら大江健三郎伊丹十三の関係も今回初めて知った。伊丹十三の作品が結構好きかもと思いながらも、全然その人物については知らなかったのだなあと思う。『静かな生活』が面白かったのと、大江健三郎が向き合ってきたであろう「魂のこと」について知りたいと思い、そして大江健三郎作品を通して伊丹十三のことももっと知ることができるのではないかとも思い、『静かな生活』を図書館へ返却すると同時に、『取り替え子』を借りた。『取り替え子』を選んだのは本当になんとなくで内容も知らずに手に取ったので、今日読み始めて驚いた。主人公の作家と、自身で飛び降りて死んだと思われる映画監督。学生のふたりが出会った松山。大江健三郎伊丹十三が重なり、この作品が伊丹十三の死後、大江健三郎がその問題と向き合うために書かれたものだと分かった。なんだか苦しくて数ページ毎に本を閉じてしまいそうになるけれど、大江健三郎伊丹十三の死にどう向かったのか知るために、最後まで読みたいと思う。

 

他にも観た映画(『いとみち』や『1秒先の彼女』、最近努めて見ている古典)について、何か書こうと思っていたけれど、このままだととんでもなく長くなりそうなので、今日は一旦ここで終わりにする。また続きは近々書ければ。