mn'95blog

日記の・ようなものです

イミテーション失恋

昨日からAmazonプライムビデオで「きのう何食べた?」のドラマ版を見始めた。1日1話。高校時代は西島秀俊に狂っていたので、ご本人の地のかっこよさが生きるあの役柄には流石に心がざわざわする。キャーとか、そんなんじゃなくて、もっと心の根っこを西島秀俊には侵食されているので、心の奥の方で何か蠢く感じ。

わたしは幸いにも人生で失恋をしたことがないけれど、たぶん死んでも良いくらい好きで好きでたまらない相手に失恋したらこんな感じになるんだと勝手に思っている。

街角で西島秀俊が起用された広告で見かけるとき、わたしの胸にあるのはときめきではなくてざわめきだ。心臓はドキドキなんかしてくれやしない。わたしに与えられるのは、気管の直径が半分までもはいかなくても3/4くらいにはなったんじゃないかと思わせるような息苦しさ。これがわたしが西島秀俊という一度も実物を目にしたことのない、カメラ越しの人間に抱いている感情だ。

この感情は本物なんだろうか。失恋に優劣なんてないとは思うけれど、実際の失恋の方が手触りがあって良い気がしてしまう。わたしのはそこにあるはずのざらつきのなく、それが球体なのか立方体なのかも分からないほど輪郭のない感じがする。そのうえそれは巨大な気がしてる。端っこはわたしにも見えない。得体が知れない、でも確かに胸が痛むという我ながらの気持ちの悪さ。大学で2年になる頃に彼の雑誌を買うことも、出演作を追うこともやめたけれど、未だこんな気持ちになるんだから怖い。

思春期に抱いた憧れって、大人になると呪いになるんですか。